さて、それでは前回に続いて書いていきます。5年後や10年後、どんなふうに今をふりかえっているだろうか?と楽しみにしつつ、思い付くままに。
今日は「わたしが目指したい社会」について書きます。
それは、一言で言うと「インクルーシヴな社会づくり」です。
なぜなら、それは今より豊かな社会だと思うからです。
以下の絵を見てください。
これは、たとえば学校や会社に例えるとわかりやすいかもしれません。
【①排除(左上)】
あなたが、学校や会社に「来ないでくれ」あるいは「来なくていい」などと言われている状態(就学免除、社会的排除)
【②隔離(右上)】
あなたが、同じような特性のある人と一緒に、一か所に集められて活動している状態(特別支援学校、就労支援施設)
【③統合(左下)】
あなたは、他の人とほぼ同じところにいる。でも意識面の壁があったり、活動が分かれていたりする状態(特別支援学級、特例子会社)
【④包含(右下)】
あなたは、他の人とまったく同じところにいる。そしてお互いを「みとめあう」関係ができている状態
④のような学校は少ないのかもしれませんが、くるみで1年半前に上映会をした「みんなの学校」はまさに④でした。
あとは、日本理化学工業のようにインクルーシヴな会社も実在します。
つまり、やってできない話ではないのです。
わたしが創りたい居場所は、④です。
これまで40回以上行ってきたくるみのイベントでは、いつも④を意識してきました。
①②③をみると、いずれも壁があります。
意識面・物理的な壁によって、人と人が分けられているのです。
これが果たして「多様性をみとめあう豊かな社会」と言えるでしょうか?
もちろん、何でもかんでも一緒にするのがいいと言っているわけではありません。
人にはそれぞれ特性があり、得意・不得意があり、相性だってある。
たとえば、一度ケンカしたらなかなか仲直りできないことだってある。
効率やスピードが求められる場面だってある。
だから【隔離】【統合】のような対応が必要なことはあるだろうし、それはそれでいいと思う。
でも、はじめから「隔離」したり「シャットアウト」する必要はまったくないと思います。そして、この線引きをしているのは、例外なく「隔離されない」「シャットアウトされない」側の人です。いわば、その人たちの基準で「この方がいいだろう」と勝手に決めているだけのこと。
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わたしが息子を育てている中で、「隔離されたり」「シャットアウトされたり」することがよくありました。そうしている人たちは、雰囲気的には、
「だってそういうものでしよう?」
「仕方ないよ」
「わたしたちだって、がんばっているんだから」
・・・とか、そんな感じ。
その人たちにとってはそう思えたかもしれない。でも、言われる側はぜんぜん納得がいかない!という経験をよくしてきたものです。。。
・あるときは幼稚園に入れない
・あるときは学校で同じ活動に参加できない
・あるときは公共施設の利用に制限がかかる
もちろん、多くの方が理解・協力してくださり、とてもありがたく、感謝してもしきれない出会いだってたくさんありました。でも、そうでない場面に出くわすたびに「なにかがおかしいなぁ」とモヤモヤして、 どう説明したらわかってもらえるのだろうか?と考え続けてきました。
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そんな経験をしてきたからこそ、わたしはいつでも息子の味方でありたいし、後に続く人に同じような思いをしてほしくない。
息子は高等部をもうすぐ卒業する。
彼のための居場所を作るには良いタイミング。
地域の人たちと一緒に活動する中で、もっともっと彼のことを知ってもらいたい。
それがインクルーシヴな社会づくりに一歩近づく道だと考え、動き始めました。
よく言われる、「『この子らに世の光を』から、『この子らが世に光を』へ」
それを「居場所づくり」を通して実現します!
NAOTO@KURUMI